ローズオイルは人の誕生と死をたすけます。出産介助からホスピスケア迄使える万能の精油です。

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生涯を通じての良き導き手.....出産介助から死の看取り迄を香りの女王と伴に


雑誌名:フォーラム
通巻:20-2001
ページ:39-41
著者:Ms. インゲボルク・シュターデルマン
題名:生涯を通じての良き導き手.....出産介助から死の看取り迄を香りの女王と伴に - 部分訳
著者紹介:助産婦、著述家。エルメンゲルスト在住
翻訳:深谷総一郎

バラの香り
精油と関わる喜びや仕事のそもそものきっかけが、あの忘れない思い出だった。ある朝早く私が在宅出産の産婦の家に駆け付けたところ、その家はバラの香りに満たされていた。それ以前には多分経験したことのない程の、畏怖の念を抱いて私は産室に入って行った。その後バラの香りをかぐと、記憶に刻まれたあの産婦の記憶が自然によみがえるほど、その香りは印象的だった。その時以来もう十数年が経つが、在宅出産の介助に駆け付ける時、私はいつでも自分で調合したバラのブレンドオイルを持参することにしている。バラの香りのもつ緊張をほぐし釣り合いの取れた働きにすっかり魅惑されて、私は同僚達にその経験を語ったのみならず、自分で調合した「出産オイル」も提供した。私の調合した「会陰部マッサージオイル」と「出産オイル」の素晴らしい香りと働きの評判はまたたく間に広がり、今ではドイツ語圏を越えて数えきれない程多数の出産の場で使用されるようになった。産婦は会陰部マッサージ、陣痛時マッサージのおかげで、ケガをせずに、陣痛を自然な痛みとして受容しながら出産することが可能になり、その結果鎮痛剤の服用もしばしば不必要になる。在宅出産と産院出産の際取られたた統計がこの事を数字で示している。病院出産の場合の統計は未だ取られていないが、数年後には必ず同種結果を示す事だろう。

バラ精油を出産介助以外の目的で人生の他の節目にも使えるのではないか、例えばホルモン障害や更年期障害それに死の看取りなどにも使用できるのではないかという閃きを得て、私の新天地を求めての香りの旅が始ったと言えよう。

トルコのバラ農場にて
数年前のことだがトルコの西アナトリア地方のバラ有機栽培プロジェクトでの収穫に参加する機会を得たことがある。早朝トルコの暑い日差し照りつける前に花の手摘み作業が始まる。午前11時前には近所の蒸留所へ届けなければならない。一日中、花摘みから蒸留所でたったの10mlに過ぎなかったその日のわずかな収穫が蒸留釜から出てくるまで、ずっとバラの香に包まれて過したその日は、辛い作業の忘れがたい経験になった。その日私に生じた気持を列挙するなら、反省、気遣い、憧憬、孤独、満足、悲しみ、涙と喜びなどなど、考えられる限りのあらゆる感情を私は経験できた。その日以来ダマスクローズは私にとって香の女王以上の存在になったし、バラの香と効能は依然として筆舌に尽くせないものでありつづけている。バラを語る場合私はいつでも愛と誕生に例えてみる。丁度一人の女性が子供を産むときに、言葉では言えない感情を体験する様なものだ。 しかしその感情が女性の心に刻み込まれて残るのは丁度その収穫の日、自分で摘み取ったバラの精油を一滴、綿に浸してずっと心臓の上に貼り付けておいて何とも言えないほどの内面のあ満足感に浸されたのと同じだ。その事を思い出すだけで私はほろりとしてしまい、同時に幸せな気持になる。 同じように忘れられないのが蒸留所のそばの墓地に生えていたアイリスの花だ。私は自分の考えが正しかったのを直感的に感じた。バラとアイリス、つまり誕生と死は人間を大地と天とに結び付けている。来ることと去り行くこと、生きることと死ぬこと、喜びと悲哀、この双方を等しく成就させるという困難な道を我々人間は背負っている。実際バラの取り入れの直後に私のごく親しい人間が死んでいったが、バラとアイリスを追想することで私にはその人の死が平穏に受容できたと思う。

(途中省略)

死に行く者へのローズオイル
死に行く者を看取る際のローズオイルは状況に応じてアロマランプで使用したり、ホホバで希釈したオイルを当人のこめかみや全身に塗布したりと使い分けられる。その際当人が本当に気持よさそうにしているかどうかを充分見極めなければならない。というのも我々後に残る者達は、死んで行く人間をなんとかして手当てしようとする意気込みが強すぎて、愛するものが既に旅立ちの気構えになっていて、もう構って欲しくないという徴候を見逃しがちだからだ。自分の心の内面をよく感じ取り、その場の雰囲気をよく感じ取り、死んで行く者の表情の変化を良く観察せよ。たとえ死に行く者がもう言葉を発する事が出来なくなっていても、読者は自ら、叉はホスピス関係者から助言を得る事で判断が下せるであろう。丁度産まれて来る時の様なものだ。一人になるとは一人のままにされるのと同義語だ。つまり孤独の中に放置される事だ。親しい人間一人がそばにいれば充分という場合がよくある。言葉をかけたり接触したりすると、返って煩わしいと感じられてしまう場合もある。死に行く者を抱きしめる様な真似は決してしてはならない。彼等は己の道を進んで他の世界へ入ろうとしているのであり、そこへ行かねばならないのだ。出産に立ち会った事のある人なら観察できるが、産婦が固定されていると痛みはますます強まるものだ。反対に必要な場合は自由に動けるのが分かっている産婦は、立ち会い人の介助と励ましだけで充分な事が多い。

出産の介助が社会的に常識化して来たのは喜ばしいが、いずれは死の看取りもそうならねばならない。多分この場合にもローズオイルは役に立って、沢山の産院で出産時に起こっている様に、異なる環境に赴くべく意識を変えるための手助けをしてくれるだろう。ところで同業である助産婦の皆さんに提案したい事が一つある。産室入り口に「愛の結晶待ち受け中」と書いた看板を出したらどうだろう。同様に死に行く者の看取りの際は「愛の結晶見送り中」という看板がふさわしいだろう。

終りに
結婚式に招待された場合筆者はよく刺の付いたバラの花束とローズオイルを新夫婦に贈る事にしている。そうして二人に「ローズオイルは、子供作りと同じに、気前良くそして倹約してつかいなさい」と助言する。永遠の愛や調和の取れた夫婦関係については、刺のないバラは無いが、しかし注意して扱えばバラは乾燥しても花を付け、長く楽しめ、刺に傷付くこともないと言って聞かせる。ローズオイルは人間に満足と内なる均衡を与えて心を和らげ、傷ついた魂と肉体の良き薬となる。